食べられることのありがたさを知ると、暴飲暴食しなくなる。

食べられることのありがたさを知ると、暴飲暴食しなくなる。

精進料理では、基本的に目、鼻、頭のあるものは食べません。禅の修行僧の事を雲水と呼ぶのですが、雲水修行中は時に厳しく、肉や魚を食べる事は絶対ありません。
雲水修行を終えると、食べるものはそれぞれの判断に任されるようになります。
雲水の食事をご紹介しましょう。まず、朝は御粥粥と香菜(御新香)を少々。御粥にはゴマをかけて頂きます。これはゴマとお塩を一対一で合わせ、火で煎ったものをすってつくります。
お昼はご飯とお味噌汁、そして香菜少々。特別な日を除いてはおかずはありません。お寺によっては、ご飯に麦を混ぜています。昔は麦のほうが安かったからそうしていたのですが、麦はビタミンが多く含まれていますので、脚気になりにくいそうです。ですから、麦のほうが高くなった現代でも麦入りご飯が出ます。
夜はお昼と同じものに、おかずが付きます。別菜といって、煮たがんもどきを4つに切って、それをふた切れ。つまり、ひとり半分です。または人参、大根を煮たものがふた切れという時もあります。そのくらいです。
このような食事生活を続けていると、食べられることのありがたさを体をもって知ることができます。頭ではなく、体で感じる。これこそ何より大切なのです。

雲水生活は、自分がいいと思うまで続きます。一年の人もいれば、5年、10年の人も居ます。20年も雲水修行を続ける方もいらっしゃいました。”そんなに長い間、こんな少ない食事を続けるの?”と思う方もいらっしゃるかもしれませんが。確かに最初の3か月は気が狂うほど、ものすごくお腹がすきます。それ以前、半月くらいで、皆栄養失調か脚気かどちらかになります。
しかし、3か月もすると体がなれてきて、ものすごくお腹がすいた感じが少しづつなくなります。そうすると、脚気や栄養失調は自然に治ってしまいます。素人の考えですが、3か月くらいすると体が慣れて、胃袋が小さくなるのではないでしょうか?それに、消化の悪いものは一切食べていませんので、お腹を壊すこともありません。
その食事をしばらく続けてくと、頭がすっきりと冴えてきます。よくお昼ご飯を食べると眠くなるという人がいますが、それは満腹になるから眠くなるのであって、満腹になるまで食べなければ眠くなり事はありません。しかも気力が増して、粘りを強くなります。
雲水の修行は、今まで当たり前だったものを徹底的に取り除いてしまうのです。睡眠もそうです。はじめのうちは極度の緊張状態にありますので、一時間寝ただけで寝坊しちゃったんじゃないか?と飛び起きたりします。そうするとゆっくり寝られることがありがたいことか、わかってくるのです。
今まで当たり前だったことが、全部取り除かれて、はじめてありがたいという事に気が付くようになります。それを体で感じられるようになるんです。

現在もったいないという心が変質しています。もったいないが使われるのもっぱらこんな場面です。”やっぱり欲張りすぎちゃった。もうおなかいっぱい。でも、もったいないから食べちゃおう”
バイキングの席でやたらに料理をとり、満腹なのに無理をしてでも食べる。残して料理を無駄にするよりはましと言えますが、そもそもとりすぎるということに問題あり、です。

それは料理というものへの執着心。すでに容量を達した胃袋にもったいないとされに詰め込むのは食べる事への執着心でしょう。いずれも美徳とは相容れないことはいうまでもありませんね。
食べるという事でいえば、現代人は総じて食べる事を軽んじているという気がします。テレビや新聞を見ながら食べるというのもそうですし、仕事の合間にわずかな時間でチャッチャとかき込むというのもそうです。だいいち食事の前後に”いただきます”、”ごちそうさまでした”をいう人がどれくらいいるでしょうか?
外食をした際に周囲を見渡してもそんな姿は見られません。

食事はただ空腹を満たすものではありません。もっと深い意味があります。禅では特に食事を重んじていて、修行中は食事の前に五観の偈を唱えます。

1つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
2つには己が徳行の、全欠を忖って供に応ず
3つには心を防ぎ過を離るることは、貪等の宗とす
4つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり
5つには成道の為の故に、今此の食を受く

意味は次のようになります。
1、この食事が調えられまでの大勢の人たちの働きに感謝します。
2、この食事をいただくにふさわしいおこないをしているか反省します。
3、心を正しくし、過ったおこないをしないために、貪りなどの三毒をもたないことを誓います。
4、食事という良薬で体を養い、健康を保つためにいただきます。
5、仏の道に至る修行をなすために、今、この食事をいただきます。

一読していただければ、食事がどれほど大切であるかがよく理解できるのではないでしょうか?

食事をいただくのは食材の命です。肉や魚も、野菜や海藻類も、みな生きています。
その尊い命をいただいて、人は生きながらえている。そのことに思いを馳せたら、食べきれるかどうかわからないのに、料理に執着して、とりあえずたくさん料理(命)を取っておこうという気持ちになれますか?
も十分おなかは満たされたのに、食べることに執着して、さらに命を貪ることなどできるでしょうか。
一回一回の食事を真剣に丁寧にしていく。それしかいただいている命に報いる正しい作法はありません。雲水の食事をそのまま一般の方へお勧めするわけにはいきませんが、食事をするときには満腹になるまで食べず、腹八分目にしてみてはいかがでしょうか?

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