人生を明らめる大切さ ”思い通りにならない苦”


人生を思い通りにできるなら、不満で苦しむことはないでしょう。
でも思いどおりにすることはできません。「欲しいものは得られず、嫌いなものを得る」ことが繰り返し起こるのです。

皆さんは、自分に合う仕事をし、オフィスが快適で、理想の上司に恵まれ、給料が高いということが、これから先もずっと続いてほしい、と思っておりのではないでしょうか?

でも、変化します。それがいつ、どのように変化するかはわからないのです。愛する人とずっと一緒にいたいでしょうが、どんなにしっかりつかまえていても、いつかは離れていきます。

健康を維持するためにハーブやビタミンを摂ったり、運動をしたり、身体に良いものを食べて利します。それでも病気になります。
「自分は若くて体力があるままでいたい、他人だけが老いればいい」と思っているかもしれません。でも年月が過ぎ、自分の希望とは別に、身体には身体の法則があることを発見するのです。
好きなものはなんでも、ついつかみたがります。でもいくらつかんでも、無常の法則を変えることはできません。あらゆるものごとは無常の法則のもとに成り立っていますから、消えていきます。誰も無常を避けることはできないのです。

まったく予想していないことが起こっても、私たちは苦しみます。突然ミツバチに刺されたり、お気に入りのテレビ番組が中止になったり、知らない人に車を荒らされたり、仕事を首になったり、親しい人がガンになったり、大切にしていた結婚式の写真や野球の記念品が火事で焼けてしまったり、子供が事故に遭ったり麻薬に手を出したり。
スキャンダルや非難、不名誉、失敗、飢え、喪失、失恋、心身の老衰など、起きてほしくないことがいろいろ、自分にも、守りたい人にも起こります。何ひとつ、自分の思いどおりにすることはできないのです。
「やめてください、もういいです」と言うかもしれません。でも、この「思いどおりにならない」現況には、さらに別の面があります。「希望がかなったときでさえ、不満になる」ということです。注意深く観察してみるなら、この現実が理解できるでしょう。

例えば、美しい家が欲しいとします。それで家を購入します。でもさまざまな心配ごとが出てくるのです。住宅ローンや税金の支払い、家の安全、戸締り、保険、装飾、修理、維持など、色々しなければなりません。それにもかかわらず、家にはあまりいないのです。朝早く仕事に行きます。夕方、仕事が終わったあとにパーティーや映画に行くこともあるでしょう。帰宅して五,六時間眠り、朝になるとまた仕事に行くのです。
家はとても広くて、非常にきれいです。一方請求書の金額を支払い、草を刈り、屋根を修理し、ガレージを整理しなければなりません。欲しかった家は手に入りました。はなして幸せになったのでしょうか?
もう一つの例をあげましょう。ある男性がある女性のことが好きで、女性を男性のことがすきです。二人とも相手を惹きつけようと一生懸命頑張っています。でも、恋愛関係をもつようになったとたん、恐怖が生まれてくるのです。男性は「彼女が自分よりもいい男性に惹かれるのではないか」と恐れ、女性は「魅力的な別の女性に彼をとられるのではないか」と不安になります。嫉妬したり、疑ったり、悩んだりするのです。これは幸せなことでしょうか?

以前、新聞でこのような記事を読んだことがあります。宝くじで高額当選した幸福な人が、その後、悲惨な人生を送ることになった、と。
このように、人生には二つの惨事があると言われています。ひとつは自分の欲しいものが得られない事、もうひとつは欲しいものを得たことから起こる悩みです。

仏教ではこの世の中は一切皆苦(すべてのものは苦しみである)といいます。仏教はそんなに悲しい教えなのかと思われるかもしれませんが、仏教でいう「苦」とは、「自分の思い通りにならない」ということなのです。

まず、生まれてきたこと。これは選択の余地はありません。老いること。これもどうしようもありません。病むこと。好きで病気になる人はいないでしょう。死ぬこと。すべての人に必ずおとずれます。以上の生老病死の四つの避けられないことを四苦といいます。
さらに、どんなに愛する人とも別れる時が来ること(愛別離苦-あいべつりく)、どんなにいやな人でも顔をあわせなければならないこと(怨憎会苦-おんぞうえく)、求めても思い通りにならないこと(求不得苦-ぐふとくく)、人としての肉体・精神があるために生まれる苦しみ(五蘊盛苦-ごうんじょうく)の四つを、生老病死の四苦に加え「八苦」といいます。「四苦八苦」という言葉はここからきています。
なんだか悲観的な話しになってきてしまいましたが、上にあげた苦は自分ではどうにもならないことなのです。それなのに、どうにかしたい、どうにかしよう、と思うと文字通りの「苦」になってしまいます。それにしてもどうして世の中これほどまでに思い通りにならないことばかりなのでしょうか。
それは、すべてのものは移ろいゆく、諸行無常であるがゆえなのです。すべての存在、あらゆる現象は生じ、そして滅する、私達もその流れのなかにあります。ですから自分ではどうしようもないことばかりなのです。「諸行無常」を正しく認識し、「何事も自分の思い通りにはならない」ということをうけいれることが大切です。すべてのものは生じ、変化し、滅するというのに、私達は目の前のものに執着したり、「自分」にとらわれたりしてしまいがちです。
「人生をあきらめましょう」といっているようなニュアンスにとられるかもしれませんが、「あきらめる」という言葉には「諦める」のほかに「明らめる」と書いて「物事の事情・理由をあきらかにする」という意味もあります。「人生を諦める」のではなく、仏の教えを正しく認識し「人生を明らめる」 ことにより、自由になることができるのです。
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